朝からすばらしい秋晴れ。東武東上線竹ノ塚駅から西新井駅まで、ひと駅だけの歴史めぐりをしてみました。
足立・竹ノ塚~西新井ひと駅散歩
JR亀有から常磐緩行線に乗って北千住駅で東武東上線に乗り換え、竹ノ塚駅を降りました。賑やかな商店街の裏に、竹塚神社があります。とても落ち着いて清潔な佇まいです。
縁起には円融天皇の時代の天元年間(978-983年)、伊勢神宮を遷宮してお祭りしたのがはじまりとありました。
住宅街を歩いていくと真言宗のお寺・西光院があります。紅葉は桜でしょうか。
西光院は大きな大日如来座像で有名です。大日如来は太陽の化身。丸みのあるお顔と、印を結んだ手の形がとても美しい像です。
境内には区の文化財の江戸・享保年間と元禄年間の庚申塔がありました。
庚申塔は関東ではあちこちの寺社の境内や道端で見られます。三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)が青面金剛像に踏みつけられている姿が彫られているのが、かわいいけれどちょっとかわいそう。その昔、庚申の日には、人間の体内にいる三尸虫という虫が、寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くのを防ぐため、庚申の日に夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習(庚申講)があったそうです。
六月八幡神社です。
このあたりの地名は「六月」と書いて「ろくがつ」と読みます。素敵ですね。
隣に炎天寺という、なんだかとても夏っぽい名前のお寺があります。
このお寺は「あること」で有名ですが、さて。。。
ヒント↑ 一見、鳥獣戯画のようですが、ちょっと体格に差があるような。。。。
「やせ蛙 まけるな一茶 是にあり」!
そうなんです。江戸の俳人小林一茶は、炎天寺にちなんで有名な句をいくつか残しました。
ずばり「蝉鳴くや六月村の炎天寺」というのもあるそうです。いま、ここで毎年「一茶まつり全国小中学生俳句大会」が行われます。
鷲(わし)神社です。縁起によると、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が海岸線のこの場所についたので浮島明神として祭祀し、1318年に島根村の鎮守として中興されたとありました。このあたりが昔は海岸線だったのでしょうか。「島根ばやし」というお囃子が伝わっているそうです。
社殿のなかでは小さい女の子がきれいな着物を着て、七五三のご祈祷がおこなわれていました。
赤羽家長屋門。足立区の有形民族文化財の立派な門です。いまも個人の住宅として使用中で、奥のお宅はびっくりするくらい大きくて立派な茅葺屋根(トタンがかぶせてない本物の茅葺)のお家でした。
この写真のもっと下に、将軍に関係あるらしい「将軍家御成橋・御成道松並木跡」の碑があるのですが、隣の書道塾の窓に惹かれてしまいました。これ以上書けないくらい、7重、8重にマルがしてあります。ちょうど土曜のお昼すぎで、たくさんの子供たちが集まってきていました。昔、書道塾に通っていたころを思い出しました。
国土安穏寺です。このあたりでは見かけない立派な門構え。縁起には、徳川秀忠・家光が来遊したときの御膳所となり、その後徳川家祈願所位牌安置所になって、葵の紋の使用を許されたとあります。
本殿の横のとても立派な松。これは。。。。
なんと「三代将軍家光のお手植えの松」でした。
もう少し行くと道端に大きな黒松の保存樹木があります。樹齢300年だそうです。
猿仏塚(さるぼとけづか)ってなんでしょう。
昔このへんの農家に猿がいて、留守番していたとき赤ん坊がむずがるので、お湯を沸かして行水させたところ熱すぎて赤ん坊は死んでしまった。猿はたいへん後悔して食事もとらずに墓を守り続けて死んでしまった。村の人たちが猿を憐れんでここに供養した。という民話があるそうです。小学校の敷地の一角にあり、子供の厄除け塚としてたいせつにされています。
猿仏塚の先はもう、西新井駅近くの大きな商業施設です。このあたりは近年大きくてきれいなマンションがたくさん建ちました。
東武東上線西新井駅。実はこの日のメインイベントは、このあと行く予定だった「西新井大師」だったのですが、急の仕事で呼び出しがあり本日はここまでとなりました。たったの一駅でしたが、地元の方々が土地の歴史を大切に守っておられることを感じられた、よい散歩でした。
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竹塚神社
東京都足立区竹の塚6-12-1 (イトーヨーカドー竹ノ塚店向かい)
西光院
東京都足立区竹の塚1-3-16
六月八幡神社
東京都足立区六月3-13-19
炎天寺
東京都足立区六月3-13-20
鷲神社(わしじんじゃ)
東京都足立区島根4-25-1
赤羽家長屋門
東京都足立区島根4-18-5
将軍家御成橋・御成道松並木跡
東京都足立区島根4-1
国土安穏寺
東京都足立区島根4-4-1
猿仏塚(さるぼとけづか)
東京都足立区栗原1-4